【9.11アメリカ同時多発テロ】 表面化した人々の攻撃性

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3.11の黙祷をしてからずっと過去の大きな出来事について考えています。

昨日の記事で9.11に触れてから、その時のことを思い返しながら、当時の気持ちを感じると複雑な気持ちになってきます。

本日はその『9.11アメリカ同時多発テロ』が起きたときのこと、14年前の2001年、僕がアメリカの地で感じたことについて綴ります。

『9.11アメリカ同時多発テロ』に触発されて露呈されていく人々の心

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みなさんもあの光景は目に焼き付いているのではないでしょうか。
ビルに突っ込む飛行機と直後吹き上がる黒い噴煙。

忘れられるはずが無い、信じたくない光景でした。

正直、映画だと思った

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2001年9月11日、僕はアメリカに留学している真っ只中でした。
事件が起きたNYなどの東側ではなく、西側のカリフォルニアの学校に僕は留学していました。

当時は大学の寮に住んでいました。
昼前の遅めの時間からの授業だったので寝ていた僕は、廊下が騒がしいことに気づいて目を覚ましました。
アメリカでは突然黒人達が騒ぎ出したりするので、うんざりしながら共有のトイレに向かいました。
その途中で、「早く教室へ来い!」と韓国人の友人に促されたのです。

顔を洗ってから教室へ向かうと、「今日は1日授業は休みだ」と教師に言われました。
教室の中では、満員の生徒達がスクリーンに映し出されたTVの映像を見ていました。
映像では、飛行機がビルに突っ込む映像が何度も繰り返し映し出されます。

映画だと思いました。

初めて見たときは、作られた映像だと思いました。
しばらくスクリーンを見続けた後、隣にいた人に「これは映画とかじゃないの?」と確認して、ようやく現実だと認識できました。
それほどに、衝撃的な映像でした。

何よりショックだったのは人々が次々に攻撃的な気持ちを露呈したこと

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映像は、何度見ても衝撃的で、言葉になりませんでした。
しばらくは呆然として映像を見たり、東側に住む親戚に電話をする人たちの姿が見られました。

ですが、少し時間が経つと、人々の行動が明らかに変わってきたのです。

それまでは頭を抱えて俯いていた人たちが、途端に攻撃的な気持ちを露呈し始めたのです。

星条旗を持ち出して、「戦争だ!」「報復だ!」と叫びながら廊下の壁を殴ったり蹴ったりしながら歩き回る友人たち。
昨日まで、共にバスケットボールをして酒を飲んだ友人までもが、見たことも無い攻撃性むき出しの表情で叫んでいました。

外を歩いていても、皆が星条旗を掲げ、叫び声をあげながら闊歩していました。
突然起きたテロは、人々の攻撃的な気持ちを簡単に剥き出しにしました。

この光景を見て、とにかく悲しかったのを覚えています。

同時に、このまま戦争が起きて、日本に帰れなくなるのではないかと思いました。

多大な被害が発生した最悪のテロ

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死亡者数3,025人、負傷者6,291人以上という数字を見ても、甚大な被害だったことがわかります。

僕にもNYで働いている知り合いがいたため、その方にすぐに連絡をとりました。
その方は無事だったのですが、友人がワールドトレードセンターのすぐ近くで働いている人がいるので心配とのことをおっしゃっていました。

事件から少し後、そのご友人は亡くなったことがわかったそうです。
そのご友人を知っているわけではありませんが、胸が苦しくなる思いです。

また、事件現場から遠く離れた西側でも、身近な友人に被害がありました。

当時、同期の学生にパキスタン人の友人がいました。
彼は頭が良く気さくな好青年でした。

その友人が事件の次の日の夜、僕の部屋に突然訪れてきてこう言ったのです。

「僕はインド人だ。いいな、聞かれてもインド人だと言ってくれ。パキスタン人と言ったら、僕はアメリカ人に殺される」

必死に訴える彼を見て、僕は頷くしかありませんでした。
気さくでいつも笑顔の彼が、げっそりして全く笑わなくなっていました。
なぜ、罪の無い人が苦しまなくてはいけないのか、わかりませんでした。

結果、アメリカ軍は報復としてアフガニスタン紛争、イラク戦争を行いました。

まとめ

攻撃的な行動は、人々の攻撃的な気持ちを剥き出しにします。
その結果、罪のない人にも被害が拡がります。
これは、何より避けなくてはいけない、人の一番怖い側面ではないでしょうか。

実はテロが起きる2年前、僕はNYに旅行に行っており、ワールドトレードセンターを訪れていました。
あの大きくて壮大なビルが無くなったとは、当時とても理解できずにいました。

まだグラウンド・ゼロには行けていないので、いつか必ず黙祷を捧げにいきたいと思っています。

※記事内写真はwikipediaより引用

筆者について

筆者について


1982年、東京下町生まれ。
高校卒業後、アメリカへ留学。その後、「アートが根付いた国では絵だけで食えるのか」を確認するため、ドイツベルリンにてアート活動をおこなう。

日本に戻ってからは、コーディング・オーサリング・プログラミングなんかを経て、ウェブディレクターを肩書きにしておりました。現在は独立し、ブログやサイトの運用を軸に、ウェブサイトの企画提案からデザイン・構築まで手広く活動しております。何でも屋です。

isLog〜イズログ〜では『日々生きること自体が旅』をモットーに、日々の旅を中心に綴っています。

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