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isLog [イズログ]

isLog〜イズログ〜は『日々生きること自体が旅』をモットーに、僕ishikawaが感じていること・おすすめしたいこと・ウェブなどの技術で共有したほうが良いと思うことについて日々綴っているブログです。

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20年以上会っていない父親に会いにいってみようかと思っている

ライフスタイル

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お父さんとお母さん、どっちが好き?

僕はまだ小学校3年生で、その頃は千葉に住んでいた。
やんちゃだった僕は、明日は何をして遊ぼうか、虫捕りをしようか、そんなことばかり考えていたと思う。
そんな僕に、家族3人で夕飯と食べている時に、母が聞いてきたのだ。

ねぇ、お父さんとお母さん、どっちが好き?

母の顔は穏やかで、ちょっと僕を困らせてイタズラをしているような、そんな表情だった。

僕は少し間を空けて、「どっちも」と答えた。

母は「ずるいな〜」とおどけ、父はただただ笑っていた。

その2人を見て、僕は内心ほっとしていた。

本当は、「どっちが好き?」という問いに対しての僕の答えはすぐに出ていた。
「どっちも」と答えたのは、子供ながらの気遣いだ。

僕の本当の答えは「お父さん」だった。

今思えば、あの質問は母の気の強さが露骨に出ていると思う。

「どっちも」と答えてから一ヶ月も経たない頃、僕は母と2人で東京に引っ越すことになった。

顔も声も覚えていない父親になぜ会いたいのか

質問以前に決まっていたことだったのだろう。

母と僕は、東京にある母の実家近くのアパートに2人で移り住んだ。

父と母は僕の前ではほとんど喧嘩をしなかった。
母と2人で東京に来ても、この頃の僕はそのうち父に会えると思っており、父へ手紙を書いたりしていた。

両親が離婚したことに気付いたのは、母親や大人から教えられたわけではなく、転校先の小学校でできた友人が教えてくれたからだった。

小学校に転校してしばらくすると、喋り好きの親グループが子供に話したのだろう、クラスメートの数人が「お父さんに会わせろよー」と僕を茶化してくるようになった。
徐々にそれはいじめに変わり、僕は家族の話を避けて過ごすようになっていった。

そんな最中、「僕もお父さんいないよ」と、仲良くなった友人が話してくれた。

そして、「お父さんいないなら離婚かもしれないね」と伝えてくれたのである。

その夜、僕は母に確認した。

お父さんって死んだの?

母はこう答えた。

生きてるよ。でも、手紙は出せないの。

僕はいじめられていることも、離婚だと気付いたことも、言わないことにした。

全てを母が話してくれたのは、僕が中学生になってからだった。

父の素性

離婚の原因は、父のギャンブルでの借金。
よく聞く理由である。
その借金の催促で父は追われ、家にも電話がくるようになっていた。
慌てるように家を出たのは、借金の催促から逃れる必要があったからだろう。

…父と離れてから20年以上経った。

正直なところ、僕は父親のことをほとんど覚えていない。
顔も声も、思い出そうとしても詳細はぼやけている。

トラック運転手で、パンチパーマで、腕っ節が強かったのは覚えている。

僕は父親が好きだった。
いつも遊んでくれたからだ。
キャッチボール、虫捕り、魚捕り、ザリガニ釣り、凧上げ… いろんなことを教えてくれた。

それにあまり僕には怒らない人だった。
その分母親がしつけてくれたのだと思う。

腕っ節が強かったので、よく肩車をしてくれたのも覚えている。
好きだったのはプロレスごっこ。
いつも煙草と酒の匂いがした。
ヒゲでジョリジョリされるのが痛かった。
地震が起きると僕の上に被さって守ってくれる、そんな父だった。

そういえば、父がたの祖父は気が荒かった。
一緒に出かけた時、白髪でパンチパーマ、金色のフレームのメガネをかけた祖父が駅員にどなりかかっていたのを覚えている。

家族揃ってパンチパーマとは、なかなかパンチの効いた家族だったのかもしれない。

父に会いたい

そんな顔も覚えていない父に、今ぼんやりと会いたいと思っている。

実は、10年程前に父親に会おうと一度父の実家近くに行ったことがある。

「生きているか死んでいるかもわからないし、家族があるのかないのかもわからない。会いに行くなら好きにしなさい。」
向かう前に母親に連絡手段を聞いたのだが相手にしてもらえなかったため、自力で探すほかなくなった。

僕は子供の頃の記憶を辿りに、父の実家であるマンションへ向かった。

子供の頃の記憶は割と鮮明だ。
変わってしまった街並みに驚きながらも、なんとかマンションへはたどり着けた。
マンション横の公園からはセミの大合唱が聞こえる。
子供の頃の記憶が蘇る。
その公園でよく父とセミを捕まえたのだ。

マンションの入り口に入って、そこで気付いた。
部屋番号を覚えていない。

一瞬戸惑った僕だったが、マンションのすぐ近くに父がたの祖母がやっている服屋があることを思い出した。

僕は、その店に向かうことにした。

僕が歩いている場所から道を挟んで反対側に、店はあった。
間違いなかった。
何故なら、店の名前は父がたの苗字だからだ。

店の中には、老いた女性がいた。
その女性がたまたま、店の外にでてきた。

祖母だ。

そう直感的に感じた。
おぼろげにしか覚えていなかったが、祖母だと思った。

祖母は、こちらに気付いた。

僕が孫だと気付いたわけではないだろう。
炎天下の中、道の逆側から凝視されていたら気にもなる。

が、一瞬祖母が声をかけてきそうな素振りを見せた。

咄嗟に、僕は下を向いてその場を去ってしまったのである。

何故そんな行動をしたのかはっきりとは覚えていないが、複雑な感情を抱えていたように思う。

だが、あれから時も経った。

今なら会える。

会いたい、と思うのだ。
会えたら、どんな話をしようか。

母の言う通り、父が生きているのか死んでいるのかも正直わからない。

しかも前回会いに行ってからさらに10年経っているのだ。
父がたの祖父母が健在かどうかもわからない。
そして、祖父母と話せなければ、父親への道も一気に険しくなるだろう。

会えるかどうかもわからない。
そもそも、父が会ってくれるのかどうかも、わからない。

だが、会えたらどんな話をするかは何となく考えている。

僕が生まれるまでの父がどのように育ってきたかを聞きたい。
どんなことをして、どんな風に考えて生きてきたのか、父親から聞いてみたい。

若い頃の僕は、歳が離れた方と好んで酒を飲んでいた。
今考えると、相手は皆父親と同じくらいの年代である。
知らぬうちに父親からの叱りや助言を求め、それをその人たちの語る話に重ねていたのかもしれない。

今の父親がどんな人物かは見当もつかないが、一回心の底から「馬鹿」と伝えて、その後酒でも呑み交わせたら良いなと思う。

両親の離婚が原因でいじめられ、母の苦労も見てきたので、一時期は父親を憎んだが、それでもやはり親なのには変わりない。

今も悩むけど結局、「どっちも」だ。

父親になる、父親をする――家族心理学の視点から (岩波ブックレット)

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父親が子どもとがっつり遊べる時期はそう何年もない。

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