並んだ、色とりどりの本。
外を歩きながら、膨大な量の本の背表紙に目を向ける。
いつもは屋内で見ることが多い、本が並ぶ光景。
閉ざされていない、広がる空間の中で見たからだろうか、よりこちら側、日常に入り込んできている感じがする。
情報情報情報。
探そうとしなけりゃ。
膨大な情報の中から、探す
休日に訪れた、神保町。
妻が古地図に急に興味を持った。
僕は植物の本を探していた。
古本屋巡りでもしよう、と出向いた次第。
快晴。
神保町に行くならこんな天気の日がいい。
外でゆっくりと本を眺めるのが好きだ。
別に開かなくてもいい。背表紙をただただ眺めてみる。
自然光にあたっているのを見ると、印象がなぜか変わったりするのだ。
膨大な量の本を目の前にすると、なんだか大きな生物の脳内に入ったような、不思議な感覚がある。
情報の集まりを目の当たりにして、ただただ眺める。
これだけ情報が並んでいたら、自分から探さなくては欲しいものは見つけられない。
雑草の中から気になる植物を探すのと似ている、感覚。
ひたすら見て、歩いて、探す。
そうしているうちに出会いがある。題名なのか、カバーの色なのか、雰囲気なのか、何か引っかかるものがあったりする。
この行為は何事にも大事なのではないかと、最近思うのだ。
見ること、歩くこと、探すこと、気付くこと。
そのモノの、個性を感じること。
背表紙の色は、様々。
個々では違うものだが、合わさることで抽象画のようにも見える。
一匹狼のように単体で雰囲気があるものもあれば、グループを作っているものもある。
「探す」という視点から離れて、「表現する」という視点から考えてもおもしろい。
本の立場になってみる、といったところ。
大勢の中で見たら、自分はどんな風に見えるのか。
普段は手にすることもない、台本が置いてあったりもする。
興味の有無に関わらず、読んでみることができるのが、いい。
その行為から広がりが生まれるかもしれない。
行動することでようやく、出会える可能性がでてくる、のか。
探そうとしなけりゃ見つからない、か。