我輩は下手な物書きである。

我輩は下手な物書きである。

我輩は下手な物書きである。
自信は未だ無い。

いつ書き始めたかとんと見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所で自身の想いを一人ノートに書いていた事だけは記憶している。

吾輩はここで始めて自己というものを見た。
しかもあとで聞くとそれは願いという自己の中で一番獰悪な想いであったそうだ。

南無。

目次

何がために文章を書くのか

我が人生の中で一番文章を書いているのは、そう、今だ。
そしてその次は、小中学校時代になる。

小学校の頃はいじめられて憤りを感じたことを文字におこしていた。
書くことで、不思議と気持ちは落ち着いた。

昇華される感覚だ。

ただただ、自分と向かい合っていたのだと思う。
人に話せない自分の想いを文章にすることで、客観視できたのではないだろうか。

そんな暗い僕にも小さな転機が訪れる。

ギターとの出会いである。

文章が音と出会う

僕がギターに出会ったのは、小学校高学年の時だ。
一人で隠れんぼをしている時に、祖父母の家の押入の奥でひっそりと佇むそれと出会った。

使われず仕舞われているギター程悲しい表情をしているものはない。

 

私はまだ音を出せる。

 

押入にいれておいてはいけないと思った。
僕はそのギターを持って母親のもとに駆け寄った。
全くギターに興味のなかった僕だ。
知識皆無。
そのギターも叔父のもので、我が家には弾ける人間はいなかった。

かろうじて母親が弦が無いことに気付き、一緒に弦を買いに行ってくれたのだ。

しかしここで知識の無い僕らは、簡単に手に入るスチール弦を買ったのだが、ギターはクラシックギターだった。
クラシックギターは指板が凹んでおり、本来はナイロン弦を張るものだ。

僕は指に食い込むスチール弦に悶えながらギターを爪弾き始めた。
中学生になると、耳コピしたメロディーを爪弾くくらいは容易にできるようになっていた。

そして、友人宅で使われていないフォークギターと出会うのである。
そのギターを譲り受けて早速弾いてみた僕は驚愕した。
指板が凹んでいないため、なんとも簡単に弾けるのだ。

なおのこと、ギターにのめり込んだ。
テレビで演奏するバンドを見ては指の動きをコピーした。

だが、絶頂の時のその熱も冷めることとなる。

中学校1年生の秋の頃だった。
ふと、書き溜めた文章を歌にしてみたらどうかと思い立ったのである。

音と共存させることで意味が変わった

僕は途端にギターの練習をしなくなった。
正確に言うと、ギターが上手くならなくても良いと思った、ということになる。

  • 文章に音を着させてやること
  • 音に文章を乗せてやること

この面白さと報われる想いに完全にのめり込んでいた。

僕の文章は自分に向けたものだった。
それが音と共存することで急に意味合いが変わった。

僕の願いは救われた、と思った。

ギターは音を出すもの、僕の文章を昇華させるもの、そう僕は思い始めた。

薄暗いじめじめした所で自己の鬱憤を溜め込んでいただけの僕の文章とギターが手を組んだのだ。

中学校の3年間だけで曲のコードと歌詞を書いたノートは3冊ほどになり、50近い曲を作ったのを覚えている。

毎日、歌詞を書いていた。

国語の成績が全ての教科の中で一番悪かった、僕がだ。

形は変えど文章を書き続けるのだろう

音にのせて歌詞を書くのは高校生になってやめた。

高校で出会った友人の音楽の才能に衝撃を受けたからだ。

最初は僕のほうができたはずだ。
こっちは小学校からで、友人はほぼ高校から始めた。
だが、1年経った頃には友人には手が及ばない状態になっていた。

音楽は、その友人に任せようと思った。

至極勝手な想いである。
それはわかっていたから友人には時が経つまで言わなかった。

とにかく僕は人生で初めて自分の想いを人に任せた。
悲しいことはなく、それまでに感じたことの無い鮮やかな気持ちだった。

書き溜めたノートは焼いて昇華した。

僕は音楽以外の表現手段を探して、アートにのめり込んだ。
それから時間が経ち、今はまたこうやって文章だけを書いている。

 

我輩は下手な物書きである。

自信は未だ無い、が、これからも書き続けるのだろう。

 

 

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