普段は全く考えないけどふと幼い頃のことを思い返してみた

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皆さんは幼い頃どのような時を過ごしていましたでしょうか。

今とは違う場所に住んでいたり、客観的に見て今とは全く違う性格だったという方もいるかもしれません。

僕はと言えば、今はパソコンが無いと寂しくなってしまうデジタルな感じですが、幼い頃は毎日近所の川や用水路や草むらで生き物を探しているような子供でした。

勉強は二の次でザリガニや虫ばかり捕まえていた幼少期

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僕は東京で産まれたのですが、その後すぐ千葉県松戸市に移り、9歳の時両親が離婚するまで千葉で過ごしました。

目立つ存在でもないけど落ち着いたタイプでもない、いわゆるお調子者だったと思います。
それでいて特技もなく、運動能力も普通でした。
勉強は一切できなく、宿題もやっていませんでした。

とにかく学校では友達と遊ぶことだけを楽しみにし、学校が終ってからはザリガニや虫を捕まえる事に没頭していました。

生き物とのふれあいが教えてくれたこと

当時はまだファミコンがでたばかりで、友達と遊ぶと言えば外で遊ぶことが主流でした。
※のちに東京に引っ越して、家で遊ぶ事が主流と知って愕然とします。

外で遊ぶ時は球技をしたり、ローラースケートなどをしたりもしていましたが、一番手っ取り早く楽しかったのが『探検』的なことでした。

探検といっても遠くへ行くことはほとんどせず、近所の川や用水路や草むらを虫や魚を探しながらはしゃぐといったものでした。
今はどうか分かりませんが、当時僕が住んでいた松戸市周辺は田んぼや畑が多く、割合川や用水路の水も綺麗でした。

草むらにはバッタやカマキリがいましたし、用水路にはタナゴやクチボソ、ザリガニがたくさんいました。

捕まえた虫や魚は家でよく飼いました。
当時は虫かごにいれてそのままにしていたりしたので、当然そのまま死んでしまうものが多かったです。

残酷な話ではありますが、この経験は僕にとって良かったと感じています。
子供の感覚で鈍い点もあったと思いますが、生き物は死んでしまうということを肌で体験できました。
同時に、自分もいつか死んでしまうということに気付き、漠然とした恐怖に毎夜怯えた事もありました。
当時は怖かったですが、今思うと良い体験をしたと思っています。

東京に引っ越してきてからの違和感

9歳の夏に僕は母と東京の母の実家がある葛飾区に引っ越しました。
転校して初日から放課後に遊ぼうと声をかけてくれる友人もいたことで、仲が良い友達もできました。

しかし、放課後の遊びに違和感を感じました。

皆、外で遊ぶ事を好まなかったのです。

「河川敷に行こう」というと「親に危ない」と言われていると断られ、夏に「外で遊ぼう」というと「外は暑いから家でゲームしよう」と言われ、住んでいる環境で親も子も全く考え方が違うことを思い知らされました。
僕と河川敷で遊んだ友達が「靴が汚れて怒られて、もう河川敷には行くなとお母さんに言われた」と言ってきたこともありました。

また、初めていじめを受けたのも東京に来てからでした。
千葉にいる時も喧嘩はしょっちゅうありましたが、あくまでも1対1の真っ向勝負でした。
ところが、東京でのそれは全く違う種のもので、無視をしたり言葉での暴力が中心の、真っ向勝負ではなく集団でのものでした。
僕の場合は両親が離婚していたこと、それを親から聞いた友人からの動きがきっかけとなり、いじめに発展しました。

やりくちが「ずるいな」と思いました。

こんな経験があり、僕は千葉にいる頃のように奔放には振る舞えなくなり、ある種落ち着いた性格に変わっていきました。

最近では公園でもボール使用禁止が増えていますよね。
川も危ないから近づいちゃいけないと言われている子供をよく目にします。

禁止事項ばかりで外で遊べる場所が無くなっていったら、当然家でゲームするようにもなりますよね。
こういう過度な保護(?)が常識になっていることが怖いです。
その常識の中で育てば、親になってもその常識の範囲で子供を育てるわけですからね。

外で遊ぶ事で得られるものは多いと思います。
その分怪我をしたり危ない目に合うことも多いとは思いますが、そこから得るものだってあるはずです。

まとめ

僕にはまだ子供はいませんが、子供は転んで汚れながら遊びまくって、色んな経験をしたほうが良いと思うのですけどね。
ゲームなんかでは得る事のできない出来ない情報を肌で体験して欲しいものです。

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