田舎と呼ばれる場所に移住してからというもの……。
停電がちょいちょい発生します。
海が近いのもあってか雷の発生が多いのですが、雷がドカーンとやっている時は停電にもなりやすい。
停電といっても1時間かからず復旧するものが多いのですが、年に数度は発生しております。
東京にいる時は停電なんて稀で、記憶にあるのは台風の時くらい。
移住してからは、「お、停電か」なんてカジュアルに受け止められるようになりました(笑)
それが最近、一週間に2度、それぞれ4時間ほど停電したことが最近あったのです。
そんな停電中に、想ったこと。
停電の時に想うこと
バチッと音がなった直後に家中の電気が切れる。
スーン……と息が途切れたような音がして家が気絶する。ちょっと、切なくなる。
一息ついてから、きたな……と呟きつつも、立ち上がって灯りの準備です。
家にいる時は大体仕事をしているので、パソコンはフル充電。
ネットはテザリングすれば良いし、仕事できちゃうんですよね。パソコンは画面が明るいので照明として優秀ですし。
自分の仕事はネット接続ありきの仕事。
仕事はできちゃうのですが、停電になると、自分がやっている仕事は無くても良いものだなぁとつくづく想う。
この世の電気が止まったとしたら全く意味のなくなる仕事。
決してネガティブなことではなく常々想っていることで、自分のやっていることの役割はしっかりと考えておいたほうが良いな、と。
暗闇の中、働くとは、生きるとはなんぞやと考える。
人工的な光が眩しく鬱陶しくて、パソコンをそっと閉じるのです。
2階の仕事場から1階に降りると、妻がキャンドルに火をつけています。
自分もランタンに火を灯して、ひとまずの灯りは確保。
「キャンプみたいだね」と、妻。
そうそう、楽しむスタンスが大事。自分で電気を生み出せないなら、電気が無い状態で快適に過ごせるように考えることを楽しみたい。
キャンプだったり釣りだったりで、比較的道具がすぐに出せるのであまりストレスがありません。
ヘッドライトを装着し、妻は料理、自分は何故か掃除。
夕食ができた頃には外はほぼ真っ暗。
停電が長くなってくると心配になるのは冷蔵庫。
でも、数時間の停電なら、あまり開けたりしなければ保冷力が残っているので結構大丈夫だったりします。
電気は偉大だなと思うのですが、なんだか頼り過ぎてしまっている気もしたり。動物的な面で。
光はありがたいけど色々見え過ぎちゃっているな……なんて考えていたら、停電が解消されてパッと明るくなりました。眩しい。
不便になって色々考える。学ぶ、というか思い出す。
あ、今回の停電で一番の発見は「暗い時に食べるのに骨の多い焼き魚は向いていない」でした。
暗くて見えないので骨を取り除けずに口の中が骨だらけ……。考えてみりゃそうなんですけど、今回の停電での大発見。
ジャガイモの収穫と山椒の実の醤油漬け
停電があった日の翌日。
夜は暗くて昼間は明るいというのが、前日の体験でしっくりとくる日。
この日は庭に植えたジャガイモの収穫日。
以前から収穫をしようと思ってはいたのですが、雨が降ったりで収穫できないまま後回しになっていました。
もう茎も葉も枯れてしまったので、どこを掘れば良いかもわかりません(笑)
雑草もある程度放っておくので、植えた本人すらわからない。
妻も参加してジャガイモ掘り。
晴れが続いた日を選んだのは良かったのですが、この日は30℃超えの日だったので汗をかきながらの作業。
小粒のものが多かったものの、家で食べるには十分なジャガイモが収穫できました。
日陰でしっかり乾かせば、長い間楽しめます。毎年の楽しみ。
そろそろ山椒の実も採らねば……と。
庭の隅に山椒の木を4本植えているのですが、そのうち2本が実をつけます。
山椒の葉は長い期間生えているので、パスタに入れたり薬味にしたりでよく使うのですが、実山椒は期間限定のお楽しみ。
適当に収穫して、葉や枝を取り除きます。
収穫していると指先に山椒の香りがつくのですが、良い香りなのでついつい嗅いでしまう。
10分ほど塩茹でして、その後1時間水にさらします。
途中でつまみ食いして辛味をみるのですが、塩茹でした後の実山椒は唇がずっとヒリヒリするくらいの痺れる辛さでした。
水にさらした実山椒の水気をとり、醤油漬けに。
酒を沸騰させてアルコールを飛ばし、醤油を同じ割合注いで冷ましたものを漬けタレとしています。
この「山椒の実の醤油漬け」が香り高くておいしい。
実もおいしいですが、山椒の香りがしっかりと移った醤油が最高。
卵かけご飯に実をのせて、醤油を垂らせばたまらぬお味。
煮物に使ったり、和風パスタにしてみたりと、色々な場面で活躍してくれます。
どうやら神戸の有馬地方には、山椒を使った有馬煮というものがあるそうで。
知らずに煮物に使っていましたが、今度本場の有馬煮を食べてみたいですねぇ。