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アートと酒と煙草と小麦粉があれば生きるには十分だ

アートと酒と煙草と小麦粉があれば生きるには十分だ ライフスタイル
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一歩一歩進むたびに、足元からはザクザクと音がする。
割れた瓶が地面いっぱいに広がっていて、避けて通る隙間もない。

薄暗い中、爆竹の火花と人々の嬉々とした目が瞬間的にキラキラと光る。

爆音と火花と破られた瓶の破片の共演は、映画で観るような紛争の中に身を置いたような感覚になる。

靴の裏にはガラスが刺さり、通常のものとは桁違いに威力が強い爆竹を投げられたりもするが、不思議と恐怖心は無かった。

人間の多面性。

ベルリンでの年越し、ブランデンブルク門近くの喧騒の中を「人間って面白いなぁ」と思いながら僕は1人で歩いていた。

ドイツ人は物を大切にする。
自転車なんか、日本人とは比べものにならないくらい自分で直して乗っている。
建物だってそうだ。
古い建築も補修され大事に現役で使われる。

それなのに、この破壊行動だ。

瓶を割るのは、昔から代々伝わっている伝統の名残なのかもしれない。
爆竹も年末恒例のものだ。

だが、普段は物を大切にする彼らの破壊衝動を見ていると、僕は心底安心したし、嬉しかった。

そうだ僕らは人間だ。

人間は感情を持っている。

いつでもどこでも同じ顔でなんて、いる必要は無いのだ。

生きるために必要なものなんてそんなに多くはない

アートと酒と煙草と小麦粉があれば生きるには十分だ

アートと酒と煙草と小麦粉があればとりあえず生きていける。

ベルリンにいた頃の僕は仮面を外して素顔のまま生きていた。

開いている」状態だった。

アートは『暮らす』ためには絶対的に大事な要素だ。

僕の仕事のフィールドでもあったし、何よりアートは人と人を繋いでくれる。

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アート作品には感覚がさらっと見える作り手のセンスが光るものもあれば、腹の底から絞り出した排泄物のようなものもある。

あれこそ、人間らしいものなのだ。

排泄物だって環境や捉え方によっては綺麗だったりする。
受け入れ側のスタンスは非常に大事だ。
そのスタンスをベースとして持っている国に、幸い僕はいた。

酒や煙草はいわゆる嗜好品だ。
無くても生きていけるとされる部類だろう。
だから、生きるためには絶対無くてはいけないものではない。

だが、僕は肉を買うくらいなら酒を買ったし、パンを買うくらいなら煙草を買った。

酒は楽しくもしてくれるし、悲しくもしてくれる。
感情を増幅させてくれるものだ。

人間の面白いところを強調して表現してくれる。

煙草は僕にとって時間を感じさせてくれるものだった。
それまで流れていた時間を煙草を吸う時間が認識させてくれる。
作品を創っていると、どうしても時間に入り込んでしまう。

煙草を吸って時間を適正な流れに戻すと、見えていなかったものが見えたりするのだ。

どちらも愛しいものだった。

アートと酒と煙草があれば、僕はとりあえずとびきり楽しかった。

とはいえ、全く食わなければ当然死んでしまう。

だから、小麦粉を買った。
小麦粉は安い。
それなのに何にでも姿を変えてくれる。
小麦粉があれば食っていけた。

アップダウンは当然あれども、心身ともに充実していた。

文句が無い生活だった。

素顔のまま生きていられるのであれば、多少の嗜好品があれば満足できる。

生きるために必要なものは然程無いのだ。

多面性の隠蔽 – 僕は今どんな顔をして生きているのだろう

ベルリンから東京に戻ってきて10年ほど経った。

今の僕は、アートと酒と煙草と小麦粉だけでは生きていけない。
生きるために色々なものを必要とし、欲している。

仮面をつけているからだ。

『開いて』いない。

仮面は息苦しいが、つけていないと生きづらい環境だ。

それなりの洋服を着て、それなりの物を食べて、それなりに仕事をしていないと、素顔がさらされてしまう。
そういうステータスを仮面にして、「ほら、皆と同じだよ」って顔をして生きている。

多面性の隠蔽。

仮面は変化することもある。
感情を隠しているものだから、感情に合わせて変化する。

だが、ここでは真っ白な仮面が正とされている。

落書きされた壁を真っ白なペンキで塗るように、変化したら元に戻すの繰り返し。

感情は一定じゃなく、時には本人が思いもしない変化もする。

その感情が描く素敵な絵も、丁寧に丁寧に真っ白に戻していく。

最近、
自分がどんな顔をしているのかも、僕はわからなくなってきている。

環境に縛られすぎだ

仮面をつけることはここでは良いこととされている。
皆が真っ白な仮面をつけている。

素顔を隠しているため、人はただただぬるくなる。

だから、「刺激を求めにいく」なんて言いだす者が現れるのだ。

刺激なんてそこらに溢れている。

刺激が無いと感じるのは、ぬるいからだ。
ぬるい頭で歩いているから、落ちている空き缶を踏んですっ転んで怪我をするのだ。
そして、「こんなところに空き缶を捨てたのは誰だ!」とどこでもない誰かに怒りだすのが目に見えている。

前触れも無く石を投げられることも、罵声を浴びせられることも、殴りかかられることも少ない環境だ。
警戒することが無いから、ちっちゃなことにすら腹を立て始める。

想像力を持って、アンテナを張っていれば、自分を駆り立てる刺激なんてどこにでもある。
見えないと言うのであれば、ぬるい環境に甘えて『見ない』ようにしているだけだ。

環境に甘えていたら、急な変動が起きたときに生きていけなくなる。

今、憲法を変えることに対して、色々な意見が飛び交って問題になっている。
僕はあまり政治のことには口は出したくない姿勢だが、これだけ違憲だと国民が騒いでるのに国は何してるんだ、とは思う。

国を信用してはいけない、そういう言葉を最近よく聞くし、その通りだと思う。

だが、
もう一手前に考えるべきことがある。

そもそも必ずしも国を信用しなくてはいけないわけではないだろう。

環境に縛られすぎだ。

そんな意識で、本当に国が違う方向にずれたら皆どうするのだろう。

境界の中に収まる必要はない。

居心地のいい場所は、自分の目と足で探したほうがいい。
人間が持つ多面性を存分に開いておける場所があるはずだ。

僕はそうしよう。

そこでは、

アートと酒と煙草と小麦粉があれば十分に生きていけるのだ。

 

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