ブログでコミュニケーションできるようになったことの感謝と恐怖

多くの方が当ブログに訪れてくれるようになった。
嬉しいことである。

もうすぐこのブログを始めて一年になるが、一年前には想像もできなかったことだ。

このブログにはGoogleなどから検索して来ていただくことが一番多い。
つまり、僕の知らない方が来てくれていることになる。

それなのに。

  • 僕の文章を読んで感動したと言ってくれる方がいる
  • 記事を書いて欲しいと言ってくれる方がいる

想像していた以上に反応をいただいている。

これは何よりも嬉しいことだ。

ブログとして一方的に発信しているこの行為が、コミュニケーションとして成り立っている部分があるということが実感できている。

ブログを始めて良かったと、一番思う点である。

そして、当ブログにきてくれている中には、僕が知っている方もいる。
仕事関係の方や友人も読んでくれていて、声をかけてもらうこともここ最近増えてきた。

記事を読んでいただいていることに大変感謝している。
だがその反面、このことに僕は若干複雑な気持ちを抱えている。

  • 現実社会での自分
  • ブログの中での自分

現実社会での僕を知っている人にブログを読んでもらうことを、僕は恐れているのだ。

『ブログの中での自分』と『現実社会での自分』

最近、ブログの記事を書く際の姿勢を見直した。

 

…ブログを始めてから記事の内容や書き方を常に模索してきた。

  • どうやったら多くの方に読んでもらえるか
  • どんな内容の記事が読んだ方のためになるか

記事の内容を変えて反応を見てみたり、いろいろな書き方を試して内容の伝わり方を想像したりした。

そんな試行錯誤の末最近気づいたのだ。
これまでの僕の文章は『報告』でしかなかった。
つまり、誰でも書けるものだった。

それに気付いた僕は、記事を書く際の姿勢を見直したのだ。
文章に自分の想いや気持ちを入れ込むように意識している。

僕しか書けない文章に、少しは近づいたのではないかと思っている。

迎えるべき、対面すべき恐怖

文章に想いや気持ちを入れ込むようにしてすぐに、記事を読んでくれた方からの反応も変わった。

特に、現実社会での僕を知っている、友人からの反応は早かった。
皆が記事が面白くなったと言ってくれた。

おそらくだが、より僕らしい文章になったからだと思っている。

姿勢を見直すまでの僕は無意識に『現実社会での自分』と『ブログの中での自分』を分けていたのだと思う。
自分の想いや気持ちを文章に入れ込むようになって、『ブログの中での自分』は『現実社会での自分』にかなり近づいたと自覚している。

ただの『報告』だった文章は、よりコミュニケーションに繋がるものになった。

だからこそだと思う。

僕は怖いのだ。

『ブログの中での自分』を『現実社会での自分』に近づければ近づけるほど、『現実社会での自分』に責任を持つ必要がでてくる。
僕がブログで書いたことは現実社会の中で発言したことと同じ意味を持ち始めた。

ブログでの姿勢を変えることで、現実社会での自分の姿勢にも影響がでてくる。
だからこそ、現実社会での僕を知っている方にブログにきてもらうことを恐れてしまっているのだと思う。

こうして言葉にすると悲観的に見えるかもしれないが、こうして悩めることは素晴らしい。
ブログをやっていなければわからなかったことだ。
迎えるべき、対面すべき怖さである。

素晴らしい、僕は苦しんでいる。

この恐怖に怯えて、分からないのに分かったようなふりをして、当たり障りの無い文章を書くようなことは僕はしたくない。
これからも大いに悩みながら、悩めることを楽しみ感謝しながら一歩ずつ進めればいい。

『ブログの中での自分』と『現実社会での自分』を分けて考える必要がなくなったとき、この苦しみから解き放たれてブログはようやく僕の一部となるのかもしれない。

筆者について

筆者について


1982年、東京下町生まれ。
高校卒業後、アメリカへ留学。その後、「アートが根付いた国では絵だけで食えるのか」を確認するため、ドイツベルリンにてアート活動をおこなう。

日本に戻ってからは、コーディング・オーサリング・プログラミングなんかを経て、ウェブディレクターを肩書きにしておりました。現在は独立し、ブログやサイトの運用を軸に、ウェブサイトの企画提案からデザイン・構築まで手広く活動しております。何でも屋です。

isLog〜イズログ〜では『日々生きること自体が旅』をモットーに、日々の旅を中心に綴っています。

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