広島県宮島の神社仏閣めぐり 大聖院・清盛神社・豊国神社

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宮島には多くの神社仏閣がある。大聖院・清盛神社・豊国神社をめぐる。

ここまでの記事では、広島県宮島への旅にて、弥山や嚴島神社などを訪れその美しさを堪能してきました。

今回は宮島の神社仏閣を巡ったときのことについて綴ります。

重要文化財も 大聖院・清盛神社・豊国神社をめぐる

宮島には多くの神社仏閣があります。
宮島では明治元年の神仏分離令までは、神社と寺院が密接に結びついていたとのことで、独自の文化を築き上げてきたようです。

僕ら夫婦は神社仏閣を巡るのが好きです。

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ここ宮島でもいくつか歩いて巡りました。

弥山本堂と嚴島神社についてはこれまでの記事にまとめましたので、今回はそれ以外の神社仏閣めぐりについて綴ります。

大聖院(だいしょういん)

嚴島神社からは少し奥まったところにある大聖院に向かいます。

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木が生き生きとしていて気持ちが良いです。

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大聖院です。

建築も趣がありますね。素敵。

正式な呼び名は多喜山水精寺大聖院。霊峰・弥山の麓にある真言宗御室派の大本山で、明治の神仏分離令までは十二坊の末寺を有し、嚴島神社の別当職として祭祀を司ってきた宮島の総本坊です。寺伝によれば、大同元年(806年)に弘法大師空海が三鬼大権現を勧請し弥山を開基して以来1200年の歴史をもち、弥山山頂の霊火堂や三鬼堂、求聞持堂などの管理にも携わってきました。本堂は鳥羽天皇の勅願道場として創建されたことから、鳥羽天皇の第五皇子である覚性法親王が門跡を務めた京都・仁和寺や歴代皇室との結びつき深く、安土桃山時代には後奈良天皇の御子で仁和寺第二十世任助法親王が法流相伝のために逗留、明治天皇の厳島行幸の際には行在所となっています。今日嚴島神社の年中行事として行われている八月の玉取祭や大晦日の鎮火祭は、任助法親王が京より伝え天正年間に大聖院から始まったもの。また天下統一を果たした豊臣秀吉がここで盛大な歌会を催し、祈不動堂を再建して念持仏の波切不動明王を奉納したことでも知られます。

http://www.miyajima-wch.jp/jp/shrines/02.html#a01

実は大聖院では「願い事をひとつだけ念じると叶えられる」という言われており、妻が4年前に訪れた際に願い事をしたところ、その願いが見事に叶えられたそうです。
今回はその御礼参りと考えていたため、意気揚々と本堂へ向かいました。

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長い階段を登って本堂へ向かいます。
が、ここで上から大聖院の方が降りてきて、「もう終わりの時間なんですよ〜」と声を掛けていただきました。

結局上まで行くことはできずに引き返しましたが、下から手を合わさせていただきました。

17:00頃には門が閉められたと思いますので、お参りの際は早めに行くことをおすすめします。

清盛神社(きよもりじんじゃ)

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嚴島神社の大鳥居近くに平清盛を祭神とする神社があります。

嚴島神社の裏手を流れる御手洗川によって運び出された土砂や浜辺に堆積した砂を築固め、江戸時代以降、徐々に延びていったのが「西の松原」と呼ばれる築出し(突堤)です。昭和20年(1945年)9月に来襲した枕崎台風によって御手洗川に大規模な土石流が発生。新たに堆積した大量の土砂を運んで、西の松原を延長し、有之浦・大元浦が埋め立てられました。そして清盛の没後770年を記念し、延長された西の松原に清盛を祭神とする清盛神社が創建されたのが昭和29年(1954年)。その前年には平清盛の遺徳を偲んで清盛祭が始まっています。

http://www.miyajima-wch.jp/jp/shrines/03.html#a03

潮が引いているときであれば、商店街側から大鳥居の横を歩いて向かうことができると思います。

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嚴島神社の社殿を造営して現在の規模に築きあげた平清盛。

素晴らしい体験をできたことを感謝し手を合わせました。

豊国神社(とよくにじんじゃ) 通称:千畳閣(せんじょうかく)《重要文化財》

嚴島神社の向かいの階段を上ったところにある豊国神社。

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豊臣秀吉が建てたという大経堂ですが、未完成のため吹き抜けになっています。

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天正15年(1587年)、豊臣秀吉が戦で亡くなった者への供養として毎月一度千部経を読誦するため政僧・安国寺恵瓊に建立を命じた大経堂です。島内では最も大きな建物で、畳857枚分の広さがあることから千畳閣と呼ばれてきました。秀吉の急死によって工事が中止されたため、御神座の上以外は天井が張られておらず、板壁もない未完成のままの状態で現在に至っています。江戸時代、既にここは交流の場・納涼の場として人々に親しまれていたようで、大きな柱には当時の歌舞伎役者一行の名や川柳などが記されています。明治の神仏分離令により仏像は大願寺に遷され、秀吉公を祀る豊国神社となりました。

http://www.miyajima-wch.jp/jp/shrines/01.html#a02

こちらも17:00頃に閉まります。

未完成のために板壁もないため、外から眺められます。

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妻は前回訪れた際は中に入り、いい風が抜けて気持ち良かったとのことです。
次は時間をとって来たいと思います。

五重塔(ごじゅうのとう)《重要文化財》

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豊国神社の隣には五重塔があります。

こちらはフェリーからも見えるので訪れる方も多いのではないでしょうか。

千畳閣の隣に建つ五重塔は、和様と唐様を巧みに調和させた建築様式で、桧皮葺の屋根と朱塗りの柱や垂木のコントラストが美しい塔です。高さは27.6m。応永14年(1407年)に建立されたものと伝えられています。内部は完全な唐様で、一般の見学はできませんが、内陣天井に龍、外陣天井には葡萄唐草、来迎壁の表には蓮池、裏には白衣観音像などが極彩色で描かれています。塔内にあった仏像は、明治元年の神仏分離令により、大願寺に遷されました。またこの五重塔が建つ塔の岡は、厳島合戦で陶軍が陣を構えたと伝えられています。

http://www.miyajima-wch.jp/jp/shrines/01.html#a01

今回は遠目から眺めさせていただきました。

まとめ

宮島には神社仏閣が多くあり、歩いて巡っていると力がみなぎってくることを感じました。
パワースポットってやつでしょうか。

神社仏閣に感動しつつも、商店街を歩いていると大杓子(大きなしゃもじ)があったりと、どこまでも楽しめる島でした。

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筆者について

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1982年、東京下町生まれ。
高校卒業後、アメリカへ留学。その後、「アートが根付いた国では絵だけで食えるのか」を確認するため、ドイツベルリンにてアート活動をおこなう。

日本に戻ってからは、コーディング・オーサリング・プログラミングなんかを経て、ウェブディレクターを肩書きにしておりました。現在は独立し、ブログやサイトの運用を軸に、ウェブサイトの企画提案からデザイン・構築まで手広く活動しております。何でも屋です。

isLog〜イズログ〜では『日々生きること自体が旅』をモットーに、日々の旅を中心に綴っています。

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