管理人プロフィール

管理人プロフィール

はじめまして。
当ブログ『isLog ~イズログ~』の管理人、ishikawaと申します。

略歴

1982年 東京都葛飾区に生まれる。住まいは千葉県松戸市。
1991年 両親が離婚し東京都葛飾区へ引っ越し。
2000年 留学でアメリカへ。
2003年 日本に戻り美術系専門学校へ。
2006年 アート活動のため渡独(ベルリン)。
2007年 日本に戻りNYでの展示等の活動を行う。その後ウェブデザインやプログラミングを経て、現在はウェブディレクターを肩書きとしています。

自己紹介

当ブログ『isLog ~イズログ~』をご覧いただきありがとうございます。

このブログでは、日々生きること自体が旅をモットーに、僕の視点ややり方・感性に従って、僕の日々の旅についてありのままに書き綴っています。

小さい頃から単純に「考える」ことが多く、内側には人に伝えてみたいことがたくさんありました。

しかし、それをうまく表現する手段がわからずこれまでは音楽をやってみたり絵を描いてみたり。。
何かしらの自己表現をしてきました。

その後ウェブサイト製作に携わるようになった僕は、ウェブの世界にどっぷりとハマることとなり、寝る間も惜しんでプログラミングやデザインを学ぶことになります。

その中で、表現手法としてのブログに出会いました

資格など

  • ウェブデザイン技能士 2級
  • Google アナリティクス個人認定資格
  • Google AdWords認定資格

そのほか、英語は日常会話程度できます。 住んでいたのにそんなもんかというくらいしか話せませんが。

SNS

SNSではブログで公開していないことも書いてます。
よかったらお気軽にお声がけくださいっ。喜びます。

実際に会ってお話するのも歓迎でございます。

お茶でもお酒でも、お声掛けていただければひょこひょこ会いにいきます。
メールでのご連絡はこちらからお願いします。

これまでの経緯

つらつらと綴ります。

幼少期

幼少期は千葉の松戸市で育ちました。

幼少期から小学校にかけては取り柄の無い、暗くもなく取り分け明るくも無い普通の子供でした。 とにかく自然や生き物が好きでした。

宿題は全くせず毎日ザリガニを釣る毎日、それが僕の幼少期の思い出です。

成績はてんで駄目な、いわゆる劣等生でしたが、毎日を楽しく過ごしていました。

そんなある日、突然父親が家からいなくなり(中学生になってから母が話してくれましたが、ギャンブルに溺れて借金ためてヤクザに追いかけられていたらしい)、両親が別れ、母方の祖父母のいる東京へと出てくることになります。

小学校三年生の時でした。

友人と別れる淋しさは当然ありましたが祖父母と一緒に住める嬉しさは覚えています。

小学校3年生〜小学校6年生

母と僕は祖父母の住む家に同居することになります。

東京に来てまず驚いたのは、自然が少ない事・友人がすぐゲーム(屋内)で遊ぼうとすることでした。
僕は自然を求め近くの荒川河川敷に毎日のように通いましたが、友人の中には危ないからと親に止められているという子もいました。

東京に越してからの小学校では度々いじめに遭いました。

暴力はあまりありませんでしたが、言葉によるいじめを度々受けることになります。
父親がいないことが皆の興味に火をつけ、標的になっていたようです。

毎日一緒に遊んでいる友人が、いじめ集団の前で態度をころっと変えたことを今でもはっきり覚えています。

当時は散々悩みましたが、今ではいじめを受けたことは良い経験になったと思っています。

強く振舞う必要性も優しく振舞う大切さもこの時に感じることができました。
その後生きていくにあたって、この感覚は僕を強く支えてくれることになります。

中学生時代

小学校でいじめられていた僕は、中学校ではその状態を挽回すべく目の前のことに打ち込みました。
バスケ部に入り上を目指しました。
最終的にはキャプテンに任命されることとなります。

あれ程やらなかった勉強も、常に学年で10位以内に入るように頑張りました。

こうしている内に生徒会に任命されてしまったりと、いじめられっ子の立場からは解放されるようになります。

高校時代

中学校で勉強を頑張ったことで学区では割と良い高校に入学できました。

中学校では頑張った勉強ですが、高校ではほとんどしませんでした。
僕は劣等生に戻ることとなります。

中学校で勉強を頑張った僕ですが、それは母親のためだったと気付いてしまったのです。
女手ひとつで育ててくれていた母親に喜んでもらうために僕は勉強をしていました。

自分のやりたいことに打ち込んでみたい、単純にそう思いました。

部活に入った上で社会人バスケにも参加させてもらい毎日バスケをしたり、小学校からギターを爪弾いていたのですが、高校で音楽仲間に出会いお互いの家でセッションしたり… 平たく言えば毎日遊んでいました。

その頃の僕は完全に自分の殻に閉じこもっており、学校でも話す相手は音楽仲間や部活のメンツばかりで、授業中は音楽を聴いているか寝ていました。

気付けば3年生となり卒業後の進路に皆がざわつき始めます。
音楽を一緒にやっていた友人は音楽の専門学校に行くと早くから決めており、特に音楽でとも思えない僕は、完全に悩んでしまっていました。

適当に大学を決めようかとも思ったのですが、話に聞く大学のキャンパスライフ(サークルに入って、飲みに行って、バイトして…)に僕は嫌悪感を抱いていました。

そんな僕はある日、「だったら日本じゃなくてもいいじゃん」とふと思い立ち、家族にアメリカ留学を伝えました。

高校時代におじがNYへの出張に僕を連れていってくれたことがあり、それが良いきっかけになったのだと思います。

誰も自分のことを知らない場所に行きたい、という気持ちもありました。

留学時代

留学は、アメリカカリフォルニアの田舎の学校にしました。

場所は特に憧れている場所もなく、入りやすそうな学校にしました。
ここでは様々な経験をしました。

外で酒を飲んでいたら銃を構えた警察たちに囲まれたり、サッカーの試合をしていたら銃声がして近くの家から犯人が走ってきたりと、日本がいかに安全かを痛感しました。

また、アメリカで出会った留学生達は、日本人も含め多くが場所に囚われない自由な気持ちを持っていました。

入学したのは2年制大学で、通常は皆4年制大学に編入するのですが、美術の授業で課題の絵を褒められたことがきっかけとなり(実は幼少期から絵を描くのが好きでした)、絵の勉強をするため、日本へ戻り専門学校へ行く決断をします。

専門学校時代

入学したのは絵画科でした。
デッサンから油彩まで、毎日絵を描けることが楽しくて仕方ありませんでした。

ここでは僕にとって非常に重要な2人の人物に出会うことになります。

1人は現在まで続く親友、もう1人はのちに僕の妻となる人です。

ドイツ移住時代

専門学校卒業後、絵で何とか食えないかと、バイトをしながらしばらく模索していましたが、正直うまくいっていませんでした。

そんなある日、知人(その方はNYでアート活動をしたことのある社長さんでした)に、「なんで本場でやらんねん。日本でアートやったって意味ないやん。」と言われ、その言葉に非常に感銘を受けた僕は、その翌日には海外の行き先を探し始めていました。

海外でアート活動をしよう、と決めた僕は、専門で出会った親友にそのことを打ち明けます。

するとなんと、親友も行くという話にその場でなり、とんとん拍子で2人でドイツ、ベルリンに行くことになったのです。

ドイツは、

  • ワーホリでいける国
  • アートが活発で生活に馴染んでいるところ

などの理由で選びました。

さて、ドイツ生活ですが僕の人生の中で、最もクリエイティブで刺激的で苦しくてかつ楽しい時間となりました。

ドイツから帰国〜現在まで

ドイツには1年いました。
その後、日本へ戻ってきてNYで展示をした後、ある理由からアート活動を終えました。

バイトをしばらく続けた後、会社に入社しました。
ドイツ生活時代にカメラマンをやっていた時のphotoshopでの写真加工技術や、作品を売り込むためにウェブサイトを作成していたことでのウェブ知識が役に立ちました。

そして今現在、ドイツに住んでいた時のように、クリエイティブで刺激的で苦しくとも底抜けに楽しい時間を過ごせるように、毎日、悩みながらも試行錯誤しつつ生きています。