日本で騒がれている『グローバル化』・『国際化』への疑問

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『グローバル化』・『国際化』という言葉をニュースなどでよく聞くようになりました。
東京オリンピックが決まってからというもの、なお強調されている気がします。

本日はそんな日本のグローバル化についての疑問について綴ります。

『グローバル化した日本』・『国際化した日本』という意識

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ニュースなんかで『グローバル化』・『国際化』と聞いていると、なんだかもうすでに「日本はグローバル化された」というような意識を植え付けようとしているように僕には聞こえてきます。

ではなぜそこまで『グローバル化』意識を植え付けようとしているのでしょうか。

日本が抱える問題点は下記のようなものがあります。

  1. 少子・高齢化
  2. 財政赤字
  3. 地震頻発
  4. 低レベルの英語能力
  5. 海外在住人口の少なさ
  6. 古い慣習(男尊女卑など)
  7. 自己主張の無い非個人主義

上記は一部ですが、挙げればきりが無い状態だと思います。

日本が持っているこれらの問題は、俗に言う『ガラパゴス化』にも繋がり、問題を解決していかないと孤立化していく危険性が表面化してきています。

結果、『グローバル化』が騒がれはじめたのです。

表面的な情報に踊らされ『うまくいっている』ように感じられてしまう

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その『グローバル化』ですが、ここではビジネス面や政治的なことではなく、本来の意味からはずれるかもしれませんが、人々への意識や文化についての方向へ話を進めていきたいと思います。

前述のように、『グローバル化』・『国際化』が人々の意識へ植えつけられてきているように思いますが、その理由としてはそうしていかないと人々が変わっていけないからなのかと感じています。
とはいえ、『グローバル化』という言葉が独り歩きしすぎている感は否めません。

メディアが取り上げるもの、特に短い時間で伝える情報には、真の意味が含まれていなく、それなのに『うまくいっている』ように捉えられがちな情報があふれているように思います。
結果、『グローバル化した日本』に住んでいるような錯覚さえ与えかねない気がします。

『グローバル化していない日本』を確認する言葉

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日本は東京オリンピックを控えており、人々の意識の中に『受け入れる』という姿勢が不可欠になります。
様々な国の文化・慣習が日本の中に入ってきます。
従来の日本人の意識ではうまく立ち回れないでしょう。
それはメディアがどんなに表面上取り繕っていても、人々に根付いていなければすぐにボロが出ます。

先ほど、テレビで「日本には海外からの旅行客が増えていて、海外客のために英語での表記も街中に増えています」と伝えていました。
これもグローバル化のひとつでしょう。
ただ、それは極めて表面的なものです。

こういった動き自体を僕はすごく良いことだと思います。
ただし、こういった動きに対して「グローバル化」が進んでいると共通認識のように伝える事は間違っていると思います。

僕はこういった話になった時、「あなたは一年のうちに街中で英語を話す機会が何回ありますか?」とよく尋ねます。

ほとんどの方が、0と答えます。

「話しかけられないから」とおっしゃる方が多いですが、それはまた違う解釈です。
そういった返答の場合、「では、駅などで困っている外国人旅行者を見かけたことはないですか?」と僕は尋ねます。
この質問への答えは様々で、

  • 「見かけるけど英語が苦手だから」
  • 「駅では早歩きしているから気づかない」

などの答えが多いです。

ここが、問題なのです。

『グローバル化』した国の中で英語を話す機会が無いはずがない

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「駅などで困っている外国人旅行者を見かけたことはないですか?」の質問に対しての答えで問題点が明確になりました。

「見かけるけど英語が苦手だから」

これは前述した日本の問題点にも挙げましたが、日本は『世界でも最低レベルの英語能力』という問題を抱えています。
僕は、日本に英語が根付かない一番の問題は、日頃英語を話す機会がないからだと思います。
必要が、ないのです。
これは結局、「ここは日本だから」という孤立化を進める思考に繋がっていきます。
さらに日本は『自己主張の無い非個人主義』という最大の問題を抱えています。
英語は必要無いという一般常識が浸透していれば、多くの人は動かなくなります。

結果、困っている外国人旅行者を見かけても、話しかけなくなります。

「きっと英語通じないから」

「周りの人に笑われる」

などの意識が生まれてしまいます。

下手でも話さなければ、上手くなるはずもありません。

「駅では早歩きしているから気づかない」

こちらはもっと根が深く、国民性と言われてしまうのかもしれません。
誰もが早足で下を向いて歩いていたり、困っている外国人旅行者に気づいていても話しかけられないように振舞っていたら、外国人旅行者は『日本』をどう思うでしょうか。
テレビでは外国人留学生や外国人在住者のドキュメンタリーで「日本人の温かさに救われた。日本人は優しい」などの植え付けがあります。
確かに、そういう面もあると思います。

ですが、『日本人全般』と考えた時に胸を張って誇れますか?

困っていて話しかけたくても話しかけられない、最悪の場合身体をぶつけられて「邪魔だな」という顔をされて、悲しい表情をしている外国人の方を、僕は何度も街中・駅で見かけています。

日本は本当に『グローバル化』されているのでしょうか。

僕には到底はそのように思えません。

まとめ

グローバル化だなんだといっても、メディアが伝える事は表面上でのことでしかありません。

一人一人が表面上の情報に踊らされず、自分の目、自分の手で確かめることが大切なのではないでしょうか。

筆者について

筆者について


1982年、東京下町生まれ。
高校卒業後、アメリカへ留学。その後、「アートが根付いた国では絵だけで食えるのか」を確認するため、ドイツベルリンにてアート活動をおこなう。

日本に戻ってからは、コーディング・オーサリング・プログラミングなんかを経て、ウェブディレクターを肩書きにしておりました。現在は独立し、ブログやサイトの運用を軸に、ウェブサイトの企画提案からデザイン・構築まで手広く活動しております。何でも屋です。

isLog〜イズログ〜では『日々生きること自体が旅』をモットーに、日々の旅を中心に綴っています。

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