「自分の名前を大事にしなさい」初めて名前について考えたときのこと

僕はアレックスと名乗っていた時期がある。

僕らには名前がある。
当たり前に、ある。

姓と名。
海外ではミドルネームもあると思うが、ここ日本では基本的には姓名だろう。

名前はその人の呼び名になる。
その人が誰なのか、一番わかりやすい判断材料は名前だ。

名前を呼べば、その人は自分のことだと理解して振り向くだろう。

名前は人を判別するもの

そんな程度にしか僕は考えていなかった。

「名前を覚えてもらえない……」初めて名前について考えることになったきっかけ

『名前』というものについて改めて考えることになったのは、僕が19歳のときの出来事がきっかけだった。
当時、高校を卒業してアメリカに留学のため渡ったばかりの僕は、日本人の名前がアメリカ人にとってどれだけ発音しづらいのかを身をもって痛感していた。

たった2文字だ

僕のファーストネームの4文字のうちの頭2文字をニックネームとして伝えても、彼らにはなかなか理解されない。

名前を覚えてもらえないなんて、考えてもみなかった。
名前を覚えてもらえないから、僕自身を覚えてもらえなかった。

顔を覚えてもらおうにも、彼らから見れば単なるアジア人のくくりだ。
顔と名前が一致するようになって、ようやく覚えてもらえたことになる。

僕の名前が特別難しかったわけではない。
僕が、消極的だったのだ。

そして、伝わらないことで自身を失い、ますます消極的になり、自分でも悩んでいた。

イングリッシュネームを手に入れた

そんな悩んでいる最中、香港人の友人が皆揃って英語名での名であることに気付いた。
聞いてみると、本名はいわゆるアジアっぽい名であり、それとは別にイングリッシュネームを持っているとのことだ。

どうやら香港の風習で、自分の好きにイングリッシュネームをつけてニックネームのようにしているらしい。
なるほど、この方法なら英語圏の人にも名前を覚えてもらいやすい。

想像もしなかった文化が興味深く感じ頷いていると、ご意見番のような立場にいた香港人の友人が「お前にもイングリッシュネームをつけてやろうか?」と聞いてきた。
日本人の中にも彼から名付けてもらった友人がいた。

今なら考えられない。
ダサい、と思う。

しかし、その時の僕は即答で「頼む」と答えた。
そして、その場で僕のイングリッシュネームは決まったのだ。

Alex

その瞬間から、僕の名はアレックスになった。

アレックスとなった僕

英語名を手に入れた僕は、次の日から会う人会う人に「アレックスと呼んでくれ」と伝えた。
今では心から恥ずかしい気持ちだが、この時の僕は新しい自分を手に入れたかのように浮ついていたように思う。

僕は授業でもアレックスでいるようにした。

教師が僕を呼ぶときに日本語名で呼ぶと、それを訂正してイングリッシュネームを伝えた。

1週間後には効果が出始めて、アメリカ人からも「Alex」と呼び止められるようになった。

叔父の言葉

効果を実感するようになって僕は浮かれていた。
事実、イングリッシュネームの効果は絶大で、あっという間に「アレックスという僕」を皆が覚えてくれた。

そんなある日のことだ。
叔父からメールが届いた。

「そっちの生活にはもう慣れたか?」というような内容だったはずだ。

叔父は、僕が高校生のときに初めて海外(NY)へ連れて行ってくれた人であり、留学という選択肢があることを(叔父は一度も口にはしなかったが)僕に教えてくれた人だった。
また、父のいない僕にとっては、近い存在であり優秀な叔父は尊敬の対象だ。

2週間ほど前なら泣き言を漏らしていたかもしれないが、そのときの僕はイングリッシュネームでの成功を叔父に伝えたくて仕方がなかった。
僕は名前を覚えてもらえないという悩みから、イングリッシュネームを得て自分を知ってもらうことができた経緯まで包み隠さずメールに書いて叔父に送った。

「叔父はこの成功を喜んでくれるに違いない」

だが、その考えは全く逆の結果となった。
叔父からの返信はこうだった。

自分の名前を大事にしなさい

僕を責める言葉は一切無かった。
しかしながら、賛成してはいないであろうことはすぐにわかる文章だった。

あらためて考えてみて、それでもイングリッシュネームを名乗ることが正しいと思うのであればそうしなさい

このときまで、僕は叔父に反対されることは一度も無かった。
驚きながらも、叔父の言葉は素直に身体に入ってきた。

イングリッシュネームは僕の本当の名なのか

僕は悩んだ。

イングリッシュネームを名乗って3週間ほど経ち、皆が僕をアレックスだと認識していた。
叔父の指摘を受けて自分の軽率さには気づいていたが、今更また本名に戻すのは面倒だし勇気がいる。

しかし、あの叔父が言うのだ。
考えてみよう。

自分の名前を大事にしなさい

難しい課題だったが、考え続けていたらひとつの疑問が湧いてきた。
皆は僕を覚えてくれたのではなくて、単にアレックスという「名前」を覚えているだけなのではないか。

冷静に考えてみると、アレックスと自分自身が一致していないような感覚はあった。
もしかすると、アレックスを名乗ることにより、僕はアレックスとして振舞っていたのかもしれない。

ややこしい言い回しだが、名前を変えようとも僕がやることはすべて僕のおこないだ。
その僕のおこないは、真の名に紐づくべきことだと気付いた。

イングリッシュネームは僕の本当の名では、なかった。

さよならアレックス

結局、僕はアレックスと別れた。
3週間の短い付き合いとなった。

その後は、本名で覚えてもらえるように努力した。

自分の名前を大事にすること

この出来事は、今も僕の中に教訓として残っている。

叔父が言いたかったことは、親がつけてくれた名前を大事にすることなんかも含まれていると思う。
しかし、僕が一番感じ取ったのは、僕の肉体の呼称は僕の本名であるということだ。

自分の肉体と深く紐付いている呼称は本名であり、叔父や大切な人が認識しているのもその本名である。
その僕の肉体がおこなったことは、本名に紐づくのだ。

世の中にはペンネームやブログ上での名前が溢れているが、どの行いもその人がおこなったことに違いはない。
しかしながら、その行為は、現実の世界では本名に紐づくことを意識するべきだ。

若干飛躍したが、イングリッシュネームを名乗った3週間を思い出すと赤面してしまうが、安易に考えていた名前について真剣に考えるきっかけとなった。
イングリッシュネームがあることを教えてくれた香港の友人たちと、考えるように促してくれた叔父に感謝である。

しかしまあ、イングリッシュネームをつけるにしても、Alexは無いな。

筆者について

筆者について


1982年、東京下町生まれ。
高校卒業後、アメリカへ留学。その後、「アートが根付いた国では絵だけで食えるのか」を確認するため、ドイツベルリンにてアート活動をおこなう。

日本に戻ってからは、コーディング・オーサリング・プログラミングなんかを経て、ウェブディレクターを肩書きにしておりました。現在は独立し、ブログやサイトの運用を軸に、ウェブサイトの企画提案からデザイン・構築まで手広く活動しております。何でも屋です。

isLog〜イズログ〜では『日々生きること自体が旅』をモットーに、日々の旅を中心に綴っています。

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