プランターで家庭菜園をしていて気付かされたこと

我が家では庭でプランターを使って家庭菜園をしています。

本日はその中で気付いたことについて綴ろうと思います。
※家庭菜園について技術もこだわりもあまりないのでTIPS的なものではありません
※最初は「意外と簡単!おいしい野菜がいただける家庭菜園は素晴らしい」というタイトルを考えていましたが、書き始めに気分が変わりました。

食うために育てることとただ育ってもらうこと

野菜を育てるということ、その行為の目的は「食うこと」にあると思います。
食べて満足するためには、その野菜がおいしく、大きく育ってくれないといけません。
いやいや、大きくしすぎても駄目なのです。
難しいですね。

つまりは人間の意志で彼ら野菜の『ベスト』を決定づける必要が野菜を収穫するには必要なのかと思います。

さて、僕は野菜をそのように育てるためにおこなう『間引く』という行為がなかなかできなかったりします。

ま び・く【間引く】
①不良のものを除いたり,間隔を保ったりするため,密生している農作物を適当に抜き取る。うろぬく。 「菜を-・く」
②口べらしのために生まれたばかりの子を殺す。 「子供を-・く」
③ところどころ省く。 「バスを-・いて運転する」

weblio辞書

『間引く』を辞書で調べるとこのような意味になります。

『間引く』という作業をすることにより、それぞれの株が大きく育つため、野菜を育てるためには大事な作業とされています。
つまり、この作業を行わない場合、作物として使い物にならなくなる可能性があるということです。

さて、今我が家のプランターでは『二十日大根』たちが勢い良く育っています。

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少しずつ抜いてサラダにして頂いたりしていますが、特に間引いていない彼らは大根の形には育てないと思います。

でも、こうやって生き生きと伸びている姿を見ると、それで良いのかなと思ってしまいます。
お腹は大きくは満たされないですが。

大根として立派なものになることも、こうやって間引かれずわさわさ育つことと、そのどちらも人間の決定になるんですよね。
そうであるならば彼らが一番気持ち良いのはなんなのでしょう。

そもそもせまいプランターで育てられることではないのかな。

とかおいしい葉っぱをいただきながら考えておりました。

枯れても芽が出せれば生きていける

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我が家には『ジャバラ(邪払)』という柑橘系の木がいます。
ネットで購入して、育て方まで同封してくれる親切なお店だったのですが、あっという間に枯らしてしまいました。

落ち度は自覚していたのでショックでした。
そのうち幹もすかすかに乾燥していき、風で折れてしまいました。

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真ん中の太い幹がもともとの幹です。
枯れてしまった後も申し訳なさでそのまま水をあげたりしていたのですが、ある日折れた幹の横から新しい枝が出てきました。
上の写真の通り、今は6本の枝がすくすくと伸びてくれていて、最近は葉も出してきてくれました。

一度は完全に「死んだ」と思われた彼は、根はしっかりと張り巡らせ、新しい枝を出してくれたのでしょう。

彼から学べることはたくさんあります。

まとめ

なんだかまとまりのない、まとまりをもとめていない中途半端な文になってしまいました。

固定の決まった環境の中で育つこと、決められてしまう目的の中で成長すること、について最近よく考えているのですが、それがプランターで育っていってくれている彼らに重なったのだと思います。

筆者について

筆者について


1982年、東京下町生まれ。
高校卒業後、アメリカへ留学。その後、「アートが根付いた国では絵だけで食えるのか」を確認するため、ドイツベルリンにてアート活動をおこなう。

日本に戻ってからは、コーディング・オーサリング・プログラミングなんかを経て、ウェブディレクターを肩書きにしておりました。現在は独立し、ブログやサイトの運用を軸に、ウェブサイトの企画提案からデザイン・構築まで手広く活動しております。何でも屋です。

isLog〜イズログ〜では『日々生きること自体が旅』をモットーに、日々の旅を中心に綴っています。

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