『毎日コツコツ続けること = 努力』って違うと思う

自己啓発系(?)の記事によく見かける謳い文句に前から違和感がある。

毎日5分でも同じことを10年続ければ必ず結果に繋がります

記事によって毎日おこなうべきだという時間の長さは変わるし、続けたほうがいいと言う期間もまちまちだが、伝えたいであろうことは同じだ。

毎日コツコツと何かを続けることで、その何かはその人の血となり肉となり。。
つまり、技術や知識になりうると言うことだ。

ここまでは理解できる。
何をやるかにはよるかもしれないが、確実にその人の経験値はあがっていくだろう。

だが、それは趣味レベルのものに限ってのことではないだろうか。

僕が前述の謳い文句に違和感があるのは、その毎日5分おこなうことを「それで食えるようになるため」にやったほうがいいと言っている記事が多いことにある。

毎日の5分は10年で換算するとなんと●●時間になります。努力は報われます。」と言った具合だ。

確かに毎日コツコツ続けることでいずれか手に職を持ち食えるようになる人もいるだろう。
しかし、大半の人はそうはならないのではないだろうか。

『努力』が何かを成し遂げるためのものであるのであれば、『毎日コツコツ続けること』と『努力』は別物だと僕は思う。

前述の「毎日5分でも同じことを10年続ける」ということで言えば、まず、何年続けるかということは最初は考える意味すらない。
そして、「毎日5分何かをおこなう」ことよりも、「毎日5分何かをおこなう以外の時間」が重要だと思うのだ。

努力とは『熱意を持ってどれだけの時間を費やしたか』ということ

ここで綴るのは「食えるようになるため」にする努力についてだ。
趣味については触れない。

改めて下記を題材として考えたい。

毎日5分でも同じことを10年続ければ必ず結果に繋がります

何年続けるかということは最初は考える意味すらない

まず、「10年続ければ」という部分についてだ。

始める前から10年続けると決めるのは不可能に近い。
人の感性は変わるものだ。
続けようと思ったことが1年後には全く興味がなくなる可能性だってある。

そして、毎日おこなうその「何か」は変化したって構わないと僕は思う。
やりたいことに熱意があれば、おのずと決まっていくものだ。

「何年続けるかということは最初は考える意味すらない」と僕は書いた。
何年続けるかではなく、今何をやるかを考えたほうがよっぽどいい。

「毎日の5分は10年で換算するとなんと●●時間になります。」

そう書かれているのを見て「早速何か始めよう!」と鵜呑みにできる人の中には、何かひとつのことを続けたことが無い人が多いのではないかと思ってしまう。
だからこのような謳い文句が増えてしまうのでは、と思う。

何かひとつのことを続けること、努力することは非常に大変なことが多いのだ。

「毎日5分何かをおこなう以外の時間」が重要

次に「毎日5分何かをおこなう」という部分についてだ。
前述の通り、確かに毎日5分でも何かを行なっていれば、その「何か」はその人の能力となるだろう。

だが、それが努力と呼べるかと言うと怪しい気がする。

熱意がその時間の濃度を決めるため、たとえ5分でもとんでもない熱意で臨めば結果は違うだろう。
僕には到底できないが、そうできる人もいるのかもしれない。
しかし、それを一般的な人ができるであろうか。

では、1日5分だけ頑張った人はそれ以外の時間を何に費やすのだろう。

通勤の電車ではひたすらスマホでゲームに興じる人を頻繁に見かける。
5分は短い。
「今日も頑張った」と、それ以外の時間はゲームでもするのだろうか。
そして自宅に戻ってもただただゲームに興じるのだろう。
それでは望んでいることが叶うことはないだろう。

普段の生活がすべてを決めるのだ。

何かを成し遂げようとしていれば、おのずとその何かをしている時間以外もそのことについて考えるはずだ。
望んでいることを叶えるために自分を高めようとするのではないだろうか。

『努力』が何かを成し遂げるためのものであるのであれば、『毎日コツコツ続けること』と『努力』は別物だ。

努力とは『熱意を持ってどれだけの時間を費やしたか』ということだ。

ギタリストになりたいとギターの練習を始めた青年が二人いたとする。
青年Aは日に5分、青年Bは日に3時間、それぞれ練習したとして1年後にはどんな結果が待っているだろう。
言うまでもなく、青年Bのほうが上達しているだろう。

上記の例は極端だが、青年Bは自分が持っている時間を青年Aよりギターを練習する時間に費やしたのである。

時間を費やすには熱意が必要だ。

  • ギターが何より楽しい
  • 音楽を愛している
  • 青年Aに負けたくない
  • 女にもてたい

そんな様々な熱意(モチベーション)の中に『ギターで飯が食いたい』が入ってきたりする。

他の何よりもギターがやりたければ時間を費やすことは苦ではない。

だが、熱意だけではその人の持つ時間を全て使うわけにはいかない。
時間は有限だからである。

だから人は何かを続ける時に勇気をつかうのだ。
勇気と熱意で、その何かにかける時間を決める。

努力と相対するものによく才能が使われる。
だが、才能を輝かせるのにも努力は不可欠だと僕は思う。

才能あるものがいかにも努力をしてないように見えるのは、努力をする姿が楽しそうに見えたりするからだろう。
少なくとも見えないところで努力をしているはずだ。

結果を求め、何かを成し遂げたいのであれば時間を費やして熱意を持って打ち込むべきだ。
自分を高めることで見えなかったものも見えてくる。

毎日多くの時間努力した人が、それ以外の人と差をつける。

熱意を持って多くの時間を費やして努力することで、ようやく結果は伴ってくるのだ。

筆者について

筆者について


1982年、東京下町生まれ。
高校卒業後、アメリカへ留学。その後、「アートが根付いた国では絵だけで食えるのか」を確認するため、ドイツベルリンにてアート活動をおこなう。

日本に戻ってからは、コーディング・オーサリング・プログラミングなんかを経て、ウェブディレクターを肩書きにしておりました。現在は独立し、ブログやサイトの運用を軸に、ウェブサイトの企画提案からデザイン・構築まで手広く活動しております。何でも屋です。

isLog〜イズログ〜では『日々生きること自体が旅』をモットーに、日々の旅を中心に綴っています。

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