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isLog [イズログ]

isLog〜イズログ〜は『日々生きること自体が旅』をモットーに、旅行記やグルメ情報について綴っているブログです。

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「はみ出さないようにしようとするな」習字の先生に教わった大切なこと

ライフスタイル

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字は紙の中に収めるべきなのか。

もうずっと前のこと。
僕が小学校4年生の頃の話。

習字の授業の一環で、学年から2名分の作品を習字のコンクールにエントリーすることになりました。

授業で書いてきた習字から先生が判断し、まず4名を選出。
それぞれが課題の習字を書き、その中から2作品がエントリーされることになりました。

4人の中に、僕もいました。

苦労して習字を書いて提出した結果、僕が先生から言われたのは思いがけない言葉でした。

どうして、はみ出さないように書いた?

習字が好きだった

僕の書く字は綺麗ではありませんでした。

小学校1〜3年まで習字教室に通っていましたが、上手な字は書けない。
実際、そういう意識がありました。

そんな僕ではありましたが、習字が好きでした。

墨を磨ること、筆に墨を吸わせること、紙と筆が触れ合ったときの感触、いちいち面白い。
墨を乗せすぎると破れる半紙。
思うようにいかない感覚、それでもいいし、それでは良くないという気持ちの矛盾。
匂いも、いい。

当時は言葉にできなかったですが、そんな風に考えていたと思います。

要は、ただ楽しいから、書いていたんですね。

楽しさに常に気を取られていたので、習字教室では作法について怒られてばかり。

  • 正座はあまりしない(動きづらい)
  • 文鎮は置きたくない(筆動かした時に触れたら嫌)
  • 手や上半身が墨だらけ(汚さないことを気にすると思うように書けなくなる)

習字教室の帰りに友達の家に寄った際に、僕が墨だらけなのを見た友達のお母さんに、服を着替えさせられお風呂にいれられたことを覚えています。

墨だらけの人生。

母親は友達の服を着て帰ってきた僕に驚いていました。
まぁ、そのくらい袖や手が墨だらけだったわけです。

枠に収めなくてはいけないという焦り

さて、そんな僕が選出されてしまった習字コンクールへの2作品を選ぶための4名。
僕以外の3人は字が実に綺麗でした。

今でもそれぞれがどんな字を書いていたか感覚的には覚えています。
均整のとれた丁寧で美しい字、基本がありながら個性を感じる字、優しい性格が表れた字。

3人のような綺麗な字が書きたい、と純粋に憧れていました。

それに比べて、僕の字は半紙の中に収まっていることがほとんどありませんでした。
文字は重なってしまうし、半紙からはみ出るので、いつも名前を書くスペースがなくなるんですよね。
下敷きに墨が染み込んでしまって、次の半紙を置いたときに墨が移ってしまいよく絶望していました。習字あるある。

習字以外のノートに書く字も、3人のものは綺麗でした。
字を見るだけでちょっと好きになっちゃうくらい。

僕は、下手です。
本当に習字やってたの?」とディスられること多数。
つい最近も年賀状書いてたら妻に怒られました。

そのくらい3人の書く字は綺麗だったため、なぜ自分が選ばれたのか疑問はありましたが、選ばれたこと自体は嬉しかった記憶があります。

しかし、課題の文字を見て僕は大いに悩むことになります。

それまで半紙に書いていたのは2文字でしたが、課題の文字は4文字だったのです。
ただでさえ狭いと感じていた半紙に4文字も収めなくてはいけない。

自宅に戻り書いてみましたが全く進みませんでした。
文字が重なって墨が染み込み、半紙が破れてばかり。
名前なんか書けるわけもない。

散々悩んだ結果、僕は半紙に収めるために字を小さくし、他の3人のように出来るだけ綺麗な字を書くように努めたのです。

自由に書けなかった僕

課題の提出日。

結構な衝撃を受けたため、いまだにその場の光景を断片的にですが、覚えています。

窓から日が差す廊下。
集められた4人、と先生。
放課後で僕ら以外に人がいない廊下。
セロハンテープを丸めてペタペタと粘着力をなくしている先生。
ペタペタという、音。

ドキドキしていました。
苦労はしましたが、それなりに綺麗に書けた自信もあったのです。

そして、広く白い壁に並べて4枚の習字が貼られます。

最初に先生が口にしたのは、僕に向けての言葉でした。

どうして、はみ出さないように書いた?

動揺しました。
思ってもみない反応だったのです。
はみ出さないように書いたこと、丁寧に書いたことを、むしろ褒められると考えていました。

何と答えたかは、覚えてません。

自由に書かないのだったら君は選んでいないよ。

何と答えたかは覚えていませんが、気持ちは覚えています。
とにかくショックでした。

普段の授業ではそれぞれの生徒の書く字の良いところを見つけて褒めてくれる、威厳がありつつもコミカルで、ユニークな先生でした。
その慕っている先生から言われたことです。

凹みました。
今も覚えているくらいですから。

作品選考は僕のものを除外して進められました。
その間、僕はずっと考えていました。

なぜ。

2作品が選ばれた後、先生は僕に先ほどの発言の理由を丁寧に伝えてくれました。

話していただいたことはおぼろげにしか覚えていませんが、

  • 半紙の中に収めて書かなくてはいけないわけではない
  • コンクールだからといって書き方を変えなくていい

といったことでした。

後は、「書いていて楽しかったか?」と聞かれたのを覚えています。

君はいつも楽しそうに書いていたよ」と。

自分がやりたいこと 周りの目を想定すること

この時の課題で、僕は「4文字を半紙に収めることができない」という壁に直面しました。
結果、自分のやり方を変えて、人の真似をして対処したわけです。

多くの人が半紙の中に文字を収めていたから、僕も字を半紙からはみ出ないように小さく書きました。
そうすることが正しいと、知らぬうちに思い込んでいたのだと思います。

結局、そうすることで僕の良さはなくなってしまったのでしょう。
そして何より、楽しかったはずの習字が苦しいものになってしまいました。

この経験を通して、自分が楽しいと思うやり方を貫き通す大事さと、大多数がやっていることが必ずしも良いこととは決まっていないことを知ることができました。

もちろん、当時は言葉にはできず、体感的に気付いた、という形でしたが。

指摘をしてくれた先生に感謝しています。

まとめ

大人になってからも僕はよくこの体験を思い出します。
習字に限ったことではなく、僕にとっては色々な場面に当てはまる教訓です。

何かから評価されるためには、その何かを意識して対応しなければ成功するのが難しい場合があります。
しかし、その意識に縛られるばかりに自分のやりたいことを抑え、大多数の常識に沿って作成してしまうと、考えた内容や作成したものに自分の良さが反映されていなかったり、面白くなくなるのはよくあることです。
会社だと、提案書なんかでそんな自分によく気付いたり。

なんなら、自分で枠を設けちゃっているときもあるくらい。

そんなとき、枠に収めようとしてしまっているときに、一度習字の先生の言葉を思い出すようにしています。

どうして、はみ出さないように書いた?

 

 

 

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