世界遺産原爆ドームと広島平和記念公園と平和記念資料館巡り

原爆ドーム・平和記念公園・広島平和記念資料館を巡る。

広島旅行2日目です。

これまでの記事では、1日目に宮島を巡り、2日目に広島市内へ戻り広島城に訪れるまでを綴りました。

今回は、原爆ドーム・平和記念公園・広島平和記念資料館を巡ったときのことについて綴ります。

忘れたくない 戦争と平和について考える

広島城から原爆ドームに向かいます。

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路面電車を利用しました。
乗り換えが必要な場合は乗り換え駅での下車時に運転手さんから乗り換え用の券をもらいます。

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『原爆ドーム前』駅が目的地となります。

原爆ドーム

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世界遺産の原爆ドームです。

訪れたことが無い方でも、教科書やメディアなどで、建物のフォルムは目にしたことがあるのではないでしょうか。

原爆ドーム(げんばくドーム、英:Atomic Bomb Dome)の名で知られる広島平和記念碑(ひろしまへいわきねんひ、英: Hiroshima Peace Memorial)は、日本の広島市に投下された原子爆弾の惨禍を今に伝える記念碑(被爆建造物)である。元は広島県物産陳列館として開館し、原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていた。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されており、「二度と同じような悲劇が起こらないように」との戒めや願いをこめて、特に負の世界遺産[1]と呼ばれている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%A0

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現在の状態でも、元々が美しく堅牢な建物であったことが想像できます。
その建物がこの状態になるほどの衝撃があったわけです。

原爆の恐ろしさ。

忘れたくない。

伝えていきたい。

広島平和記念公園

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原爆ドームのある平和記念公園は緑が美しい公園です。

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こういう日常の風景の中に原爆ドームが残されているため、戦争と平和について自ずと考えるようになります。

僕は妻と公園を歩いていましたが、こういう平和な時間に、突然戦争は牙を剥くんですよね。

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考えさせられました。

広島平和記念公園(ひろしまへいわきねんこうえん、英語:Hiroshima Peace Memorial Park)は、広島県広島市中区中島町にある無料の市民公園。平和記念公園(英:Peace Memorial Park)もしくは単に平和公園(英:Peace Park)とも呼ばれる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%85%AC%E5%9C%92

広島平和記念資料館

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最後に広島平和記念資料館に入ります。

この資料館には原爆の影響の記録が残されています。

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原爆投下時の写真などの記録や、負傷した方の写真や遺品が多く展示されており、原爆の悲惨さを改めて感じることとなりました。

国指定の重要文化財である西側の「本館」と、東側の「東館」からなり、観覧は東館から入場し本館から退出するコースとなっている。東館には原爆投下までの広島市の歴史や原爆投下の歴史的背景に関する展示があり、本館では広島原爆の人的・物的被害に関する展示が行われている。特に、原爆投下直後の壊滅した広島市街地の縮小模型、熱線で全身の皮膚を焼けただれさせながら炎の中をさまよう被爆者の等身大ジオラマ(通称:被爆再現人形(後出))、被爆死した三人の動員学徒が身に付けていた制服の残骸を組み合わせて一体の人形に仕立てた「三位一体の遺品」や「黒焦げの弁当箱」など被爆死した動員学徒[補足 1]たちの遺品、本通の住友銀行広島支店から1971年に移設された「人影の石」[補足 2]などがよく知られている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%A8%98%E5%BF%B5%E8%B3%87%E6%96%99%E9%A4%A8

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上の画像は佐々木禎子さんの残した折り鶴です。

2歳の時に被爆した禎子さんは、10年後に突然白血病を発症して8ヶ月の闘病生活の後、亡くなったそうです。

病室で禎子さんは、生きたいという願いを折り鶴に託して懸命に折り続けたそうです。

まとめ

今は戦争もなく平和な日本ですが、その平和を一瞬にして破壊する術を人は持っています。

平和の中にいては意識しにくいことではありますが、こうして過去の悲劇を形として残している場所があるということは、そこに訪れた人が平和や戦争を再認識するきっかけには十分なりえると思いました。

悲しくも、素敵な場所でした。


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筆者について

筆者について


1982年、東京下町生まれ。
高校卒業後、アメリカへ留学。その後、「アートが根付いた国では絵だけで食えるのか」を確認するため、ドイツベルリンにてアート活動をおこなう。

日本に戻ってからは、コーディング・オーサリング・プログラミングなんかを経て、ウェブディレクターを肩書きにしておりました。現在は独立し、ブログやサイトの運用を軸に、ウェブサイトの企画提案からデザイン・構築まで手広く活動しております。何でも屋です。

isLog〜イズログ〜では『日々生きること自体が旅』をモットーに、日々の旅を中心に綴っています。

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